古人は神に懺悔する。
今人は社会の前に懺悔している。
by 芥川龍之介『侏儒の言葉』
我々人間は、『社会』に生きている。
1人で生きていけるのだろうか。
そもそもの話だが、
人間とは『社会動物』なのだ。
個別が集まり、それが集団としてNumberのパワーを発揮する。
このNumberのパワーというのは人類史上において最も強力な力だ。
『多数決』
聞いたことがあるだろう。
もしかしたら幼少期にはこの方法に向かうべき方向を求め得ていたかもしれない。
1人の考えよりも10人の考えの方が正しいように思えるだろう。
それは至極当然で、間違ってはいない。
1TBと10TBではどちらがより多くの情報を保存できるかであればな。
TB(テラバイト)が意味するところは『情報量』でしかないのだ。
つまりは正しさ、明確な指向性とは全く関係がない。
端的にいえば、あなたが脳みそに抱える情報や知識の正しさによって、
全ては変わってくるのだ。
マジョリティーが正しいという指向。
それすなわち、自分は平均的人間であることだ。
理解ができるだろうか。
例えば、100名の高校生が在籍する予備校。
そのうち半数である51名があるテストで51点を取ったとしよう。
しかし49名は49点を取った。
さあ、平均を求めてください。(数学苦手なら『※』まですっ飛ばしていいよ!!)
51×51(2,601)+49×49(2,401)=5002(ここまでで全員の点数の合計)
5002÷100=50.02点(これでようやく平均が出る)
50.02点だった。
『※』
さて、51人というマジョリティーか49点というマイノリティー、
どちらの点数に近いだろうか?
当然だが、50を0.2点超えている時点でマジョリティーに近い。
おそらくこれがわかったあなたは、マジョリティーにいたら安心するだろう。
「ふう、多数に入ったな。」と。
そして、49点のマジョリティーを見下す。
「お前ら49かよ。まぁ2点差とはいえ、俺の方が頭いいな!」と。
もしここで僕が49点側の人間(ちなみに僕は大学までずっとこっち)なら、
『今の時点はな』と言い放つ。(実際言ってしまって、中学では嫌われたよ笑)
これはブログで、
こんな濃ゆいマインドの話をすべきではないことはわかっているが、
どうしても伝えたいことがある。
『人間とは社会に依存して生きる弱い生き物なのだ。』
しかも、日本社会では『大多数=正義』という価値観が蔓延している。
悪いというわけではない。ただ君が上を目指すなら、その価値観は捨てるべきだ。
これが歴史上の世界では『神』こそが正義だったわけですよ。
そして今ではそれは『社会』になっている。
つまりは、常に人間は自分を無視してきた。
というか無視せざるを得なかったというのが正しいだろうか。
とはいえ人間とは『社会動物』であるので、
これも仕方がないといえばそうだ。
しかし、商売として。
我々が注目すべき場所は『個人』だ。
あなたは1人にすら売れない商品を100人に向けて販売するか。
しないよね笑
それはそうだ。
だって1人にすら売れないのだから。
100人に売ったところで0に何をかけても0なのだよ。
つまりは、あなたが把握すべきは『1人の人間がどうやって世界を見ているか』なのだ。
簡単だろう。
『AIDMA』、『AARRR』。
様々なファネルマーケティングがあるように、
人間の認知はテンプレ化されている。
極論言ってしまえば、
これは『知って、わかって、動く』という
この3つの流れでしかないのだ。
社会に生きる人間は、この認知を辿っている。
少なくとも僕はこの認識で一生眠っていても生きていけるような金額をひと月で稼いでいるので、
間違いはないだろう。
社会とは人間を規定し得ないのだよ。
人間が社会を規定するのみなのだ。
人が勝手に作り上げた社会を、
あらゆる人間が盲信している。
まぁ、これがなければ生きていけないのも事実なのだが、
この常識をまずぶち壊さなければ先には進めない。
社会。集団。社会。
あなたはその中の『誰』を追いかけるのだろうか。
その『誰』かはあなたの商品を購入するだろうか。
わかりやすく言おう。
君は『誰』の役に立てるのだろうか?
(全く無理ということはほぼないのでご安心を。考えられていないだけだ。)